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長生村

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あしあと

    お的神事(一松神社)

    • [公開日:]
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    • ID:310
    お的神事・弓を射る神官

    一松神社の神占いであるお的式は、天文3年(1534年)正月4日に始まったといわれ、現在に至っています。

    和紙28枚を張り合わせて作った直径90センチのお的には、白と黒の六重の丸を描いたものを3 本の竹で支えます。弓を射るのは神主で、お的を15メートルくらいのところから射ます。第1の矢は、この年の吉凶(神の矢)、第2の矢は、早生稲の豊凶(早生の矢)、第3の矢は(中生の矢)、第4の矢は、晩生稲の豊凶(晩生の矢)。

    これらの神占により作柄を予想して種蒔きをします。神社の年の初めに行われる神事の一つで、現在もそれぞれの子孫が受け継いでいます。【注:()は昔の的の意味】

    一松神社(有形文化財:建造物)

    一松神社本殿

    もと第六天、諏訪両社といい、第六天神は寛治2年(1088)の創建と伝えられ、天正の末年ごろ、諏訪神社を合祀したといわれます。社殿は、慶長 19年(1614)11月再建し、延宝のころから地頭内藤式部小輔正勝の守護あつく、寛保元年(1741)9月、内藤下総守大願主となり神官狩野播磨守保信のとき、社殿を造営しました。大工棟梁は一松の長左衛門、屋根棟梁江戸の一左衛門でした。

    文化の初頭、拝殿、幣殿を消失し、文政2年(1819)9月拝殿、幣殿を再建しました。
    神官狩野主善保吉のころで、建築様式は千鳥破風つき権現造り、切妻型、瓦葺き、拝殿の向拝(ゴハイ)は二軒繁垂木、頭貫(カシラヌキ)虹梁、海老虹梁、広緑つき、本殿屋根は、千木、堅魚木であり彫刻が精巧です。

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